簡歴
関広志は1896年吉林市生まれ、中国で第一世代となる水彩専門画家であり、20世紀の中国美術史において不可欠の存在である。中国近代水彩画・銅版画の先駆者として、特に水彩界では李剣晨と並び「北関南李」と称された。かつて燕京大学、北平国立芸術専科学校、輔仁大学、清華大学で教鞭を執ったことがある。
1931年、関広志は造詣を深めるため渡英。英国ロイヤルアカデミー・オブ・アーツに学んだ最初の中国人留学生となる。また、フランス・イタリア・ドイツ・オランダ・旧ソ連などへ赴き各国の芸術都市を視察した。
帰国後、留学で感得した知見と民族文化の伝統および中国本土の現実的な資源を結合させ、非常に個性的な作風の芸術を創造し始める。
その絵画性を言うなれば、西洋の水彩画の鮮やかで優美な特徴と中国伝統絵画の気韻ある筆法の融合である。中国と西洋の画材を併せて使い、木炭鉛筆で輪郭を描き水彩で着色を施す。これにより、感化力に富み独特の芸術的風格を具えた不透明水彩の作品群を生み出した。関広志が中国の伝統画法に精通していただけでなく西洋絵画についても熟知していたことで、作品に独自の風格がもたらされたのである。
題材の面では特に古建築と庭園風景に優れ、中南海双亭子や三里河清真寺など、歴史の変遷の中で現在では消失してしまった名勝建築を絵筆で記録している。その作品の多くは海外に流出し、関広志の名声は国際的にも広く知れ渡っている。
1958年、芸術家として最盛期を迎えながらも病に倒れ惜しまれつつ逝。
感謝!心からの感謝!
関乃平